【ネタバレ】「北の桜守」@渋谷TOEI2
新宿のチケットショップで340円で購入した前売り券を手に10年ぶり位に渋谷TOEIで見た。平日の最終上映。客入りは十数名。客年齢層は高い。

映画の話
1945年、樺太で暮らす江蓮てつ(吉永小百合)は、8月にソ連軍が侵攻してきたために2人の息子と一緒に命からがら北海道の網走まで逃げる。凍てつく寒さと飢えの中、てつたち親子は必死に生き延びるのだった。1971年、アメリカで成功を収めた次男の修二郎(堺雅人)は日本初のホットドッグ店の社長として帰国し、網走へと向かう。
映画の感想
私は吉永小百合のファンではないが、彼女が主演した「北の零年」
以降の主演作を全て劇場や試写会で鑑賞してきたが、本作は今までの正統な「小百合映画」と違い、かなりの「変化球」的な作品と言えよう。尚、本作は先に書いた「北の零年」「北のカナリアたち」
に続く、「北三部作」の最終章だという。
時代設定は1945年と1971年の二つの時代に加えて、主人公てつが辿った人生と時代背景を舞台中継の様なアバンギャルドな演劇形式で挿入される。本編の監督は滝田洋二郎だが、この謎の舞台演出はケラリーノ・サンドロヴィッチが務めている。最初、この謎の演劇舞台に違和感を持ったが、多分、この描写は物語の時代背景を説明しながら、てつの脳内世界を舞台中継風に描いたのではないだろうか?
まぁ、それにしても、この十数年間作られてきた吉永小百合主演作は、彼女の年齢設定は40代前後で止まっている様だ。本作も正にその年齢設定を受け継ぐものだが、二つの時代が時代背景の為に、最初は38歳で登場した吉永小百合が、1971年には歳を重ねて64歳と大分、吉永の実年齢に近い年齢設定となり、更に痴呆症まで発症してしまい、吉永が一歩踏み込んだ痴呆演技を披露していて驚かさせる。
更に吉永作品の違和感は、吉永と子役の年齢差が不自然極まりなく、本作も冒頭は小学生くらいの二人の少年と吉永のスリーショットが、孫とおばあちゃんにしか見えなく違和感バリバリだが、物語中盤から息子役で堺雅人が登場する。やっと映画会社も子供役に吉永小百合の実年齢に合った俳優をチョイスしたのだ。
1971年を時代背景にしたエピソードは、吉永小百合が狂言回しとなり、物語の主役は堺雅人である。日本初のホットドック店と言うか、24時間営業のコンビニ店の誕生を描いた話は面白く興味深い。痴呆の母に振り回される息子の苦悩は多くの観客が共感出来るのではないか?そんな中、吉永の甘々な演技に対して、堺雅人のエッジの効いたキレッキレの演技が素晴らしく物語を引き締める。
以下ネタバレ注意
物語中盤以降は吉永と次男役・堺雅人の物語に焦点は絞られるが、肝心の長男の話が不自然なほど語られない。「おかしいなぁ・・・」と思っていたら、クライマックスでその真相が語られる。戦争の悲惨さを映像として衝撃的に描いたエピソードは、その後のてつの人生に暗い影を落とし、痴呆症を発症させる一端となった疑いもある。
物語は痴呆になったてつが行方不明となり、1971年から2年後の1973年。題名の通りに本物の「北の桜守」となったてつが見つかるが、その姿は白髪頭の老婆と「小百合作品」にしては珍しく、吉永が老いを肯定する容姿を披露した事は、今後の映画活動は実年齢に近い役を演じる事への暗示なのだろう?
そして、痴呆が進んだてつが見るのは死んだ長男の姿と、次男・修二郎を亡き夫と思い込む、痴呆の現実を端的に描いたシーンで幕ではなく、再びてつの脳内世界の中では、戦争により切り裂かれた家族全員が再会する舞台演劇で幕を閉じる。何か、安定の「小百合映画」と違い、一歩踏み込んだ構成と演出で魅せる作品に私は手ごたえを感じた。「小百合映画」と頭から敬遠するのではなく、チケットも安く売っているので、ぜひ多くの人に見て欲しい作品だ。
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映画の話
1945年、樺太で暮らす江蓮てつ(吉永小百合)は、8月にソ連軍が侵攻してきたために2人の息子と一緒に命からがら北海道の網走まで逃げる。凍てつく寒さと飢えの中、てつたち親子は必死に生き延びるのだった。1971年、アメリカで成功を収めた次男の修二郎(堺雅人)は日本初のホットドッグ店の社長として帰国し、網走へと向かう。
映画の感想
私は吉永小百合のファンではないが、彼女が主演した「北の零年」
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時代設定は1945年と1971年の二つの時代に加えて、主人公てつが辿った人生と時代背景を舞台中継の様なアバンギャルドな演劇形式で挿入される。本編の監督は滝田洋二郎だが、この謎の舞台演出はケラリーノ・サンドロヴィッチが務めている。最初、この謎の演劇舞台に違和感を持ったが、多分、この描写は物語の時代背景を説明しながら、てつの脳内世界を舞台中継風に描いたのではないだろうか?
まぁ、それにしても、この十数年間作られてきた吉永小百合主演作は、彼女の年齢設定は40代前後で止まっている様だ。本作も正にその年齢設定を受け継ぐものだが、二つの時代が時代背景の為に、最初は38歳で登場した吉永小百合が、1971年には歳を重ねて64歳と大分、吉永の実年齢に近い年齢設定となり、更に痴呆症まで発症してしまい、吉永が一歩踏み込んだ痴呆演技を披露していて驚かさせる。
更に吉永作品の違和感は、吉永と子役の年齢差が不自然極まりなく、本作も冒頭は小学生くらいの二人の少年と吉永のスリーショットが、孫とおばあちゃんにしか見えなく違和感バリバリだが、物語中盤から息子役で堺雅人が登場する。やっと映画会社も子供役に吉永小百合の実年齢に合った俳優をチョイスしたのだ。
1971年を時代背景にしたエピソードは、吉永小百合が狂言回しとなり、物語の主役は堺雅人である。日本初のホットドック店と言うか、24時間営業のコンビニ店の誕生を描いた話は面白く興味深い。痴呆の母に振り回される息子の苦悩は多くの観客が共感出来るのではないか?そんな中、吉永の甘々な演技に対して、堺雅人のエッジの効いたキレッキレの演技が素晴らしく物語を引き締める。
以下ネタバレ注意
物語中盤以降は吉永と次男役・堺雅人の物語に焦点は絞られるが、肝心の長男の話が不自然なほど語られない。「おかしいなぁ・・・」と思っていたら、クライマックスでその真相が語られる。戦争の悲惨さを映像として衝撃的に描いたエピソードは、その後のてつの人生に暗い影を落とし、痴呆症を発症させる一端となった疑いもある。
物語は痴呆になったてつが行方不明となり、1971年から2年後の1973年。題名の通りに本物の「北の桜守」となったてつが見つかるが、その姿は白髪頭の老婆と「小百合作品」にしては珍しく、吉永が老いを肯定する容姿を披露した事は、今後の映画活動は実年齢に近い役を演じる事への暗示なのだろう?
そして、痴呆が進んだてつが見るのは死んだ長男の姿と、次男・修二郎を亡き夫と思い込む、痴呆の現実を端的に描いたシーンで幕ではなく、再びてつの脳内世界の中では、戦争により切り裂かれた家族全員が再会する舞台演劇で幕を閉じる。何か、安定の「小百合映画」と違い、一歩踏み込んだ構成と演出で魅せる作品に私は手ごたえを感じた。「小百合映画」と頭から敬遠するのではなく、チケットも安く売っているので、ぜひ多くの人に見て欲しい作品だ。
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