「ジャージー・ボーイズ」@ワーナーブラザース試写室
映画の話
ニュージャージー州の貧しい町で生まれ育った4人の青年たちは、その掃きだめのような場所から逃れるために歌手を目指す。コネも金もない彼らだが、天性の歌声と曲作りの才能、そして素晴らしいチームワークが生んだ最高のハーモニーがあった。やがて彼らは「ザ・フォー・シーズンズ」というバンドを結成し、瞬く間にトップスターの座に就くが……。
映画の感想
「ジャージー・ボーイズ」はクリント・イーストウッド監督作品として、大々的に宣伝しているが、ふたを開ければイーストウッドファンや映画ファンより、ドゥーワップやオールディーズを愛する山下達郎や、彼がDJを務めるTOKYO FM「サンデー・ソングブック」リスナーと言ったコアな音楽ファン向け作品だ。
作品の題材はヴォーカルグループ「フォー・シーズンズ」と、そのリードボーカルのフランキー・ヴァリにスポットを当て、グループとヴァリの栄光と挫折を描くだけに、生半可な音楽知識では対応できないコアな作品である。更に彼らの長い音楽生活が描かれるわけで、アメリカの歴史的背景、ジョービジネスの裏側など、色々な知識が必要とされるので日本の観客には難易度が高い。
私とフランキー・ヴァリの出会いは、彼がソロとなった70年代末期の映画
以下ネタバレ注意
さて話を「ジャージー・ボーイズ」に戻すと、先にも書いた通りに、本作を「イーストウッド監督作品」と期待して見ると肩透かしを食らうと思う。本作は元となったミュージカル舞台版の映画化作品であり、イーストウッドは監督として自分の色を消して職人に徹したと思われる。その演出が顕著に出る、出演者が観客にカメラ目線で語りかける説明的な描写は、イーストウッド作品では初めての試みだと思う。多分ミュージカル版がその様な演出を取っていて、その演出がそっくり映画版も使ったのだろう。
作品の幕開けはフォー・シーズンズ結成前のヴァリの青年時代からだ。ニュージャージー州の町で床屋の手伝いをしながら、不良の友達に誘われるがまま金庫強盗に加担するは、小さな犯罪に手を染めるなど驚きのエピソードの裏で、町のドンのデカルロ(クリストファー・ウォーケン)に寵愛されているヴァリの知られざるエピソードが小気味よく展開する。丁度、この辺の描きかたはマーティン・スコセッシ監督が得意とする演出であるが、イーストウッドもなかなかの演出で魅せる。
物語中盤はフォー・シーズンズ結成。名曲「シェリー」、「恋はやせがまん」の誕生秘話を交えながら、グループとしての成功を楽しく描きながら、後半には家庭を顧みないヴァリの家庭崩壊や、膨大な借金問題を抱えたトニーがグループ崩壊を導く過程を辛辣に描く。
作品全体を見ると一見「作家性を消している」様に見えるが、ヴァリと娘フランシーヌの関係に幾分イーストウッドらしさが投影されているように見える。70年代のイーストウッドは妻子ありながら、愛人のソンドラ・ロックをヒロインに
音楽通で知られるイーストウッドだけに、音楽ファンも納得の演出なのだが、唯一納得いかない描写があった。娘を亡くし、悲しみの中に録音される67年のヒット曲
2時間14分と言う上映時間だけに、長い歴史を持つグループを描くには時間が足りなかったのか、カットされたのか判らないが、時代の流れが判り辛かったり、セリフだけで説明してしまうシーンも多々あり、難点となった事は否めない。
イーストウッドの堅実な演出の中、ミュージカル版に引き続きヴァリを演じたジョン・ロイド・ヤングを始め、生歌で歌を披露したフォー・シーズンズのメンバー役の俳優たちの歌声は一聴の価値がある。アンコール的なミュージカルシーンの幕引きも加わり、着地の成功で作品を上手く締めくくった。本作はイーストウッド作品と見ると異色作品となるが、逆にイーストウッド作品と気負いを入れず作品と向き合う事がベストである。
【追記】
写真左フランキー・ヴァリ、右ボブ・クルー
劇中マイク・ドイルが演じた、フォー・シーズンズの楽曲の作詞とプロデュースをしていたボブ・クルーご本人が2014年9月11日に亡くなったそうです。謹んでご冥福をお祈りいたします。
この記事へのコメント
>監督として自分の色を消して職人に徹した
ミュージカル的な部分もあったし、敢えてそうしたのがよかったんじゃないかと。
「君の瞳・・」のレコーディングシーンかあ。さすが音楽に詳しいだけあって見てる所が違いますね。見る人が見ればわかっちゃうかな?
音楽物は難しいです。
変に知識があると色々な点が気になってしまいます。
「演奏している楽器がこの時代にあったか?」とか、厳しく見ていた所に「君の瞳に恋している」でミスが発覚しました。
この曲のお披露目シーンで演奏していた、ベースも当時無かったモデルと言う疑惑もあります。