映画「マン・オブ・スティール」@よみうりホール&109シネマズ川崎
1回目、よみうりホール、3D上映。客入り95%くらい。日本テレビさん主催。
2回目、109シネマズ川崎、IMAX3D上映。客入りはスクリーン前3列を除き満席だ。109シネマズさん主催。
映画の話
ジョー・エル(ラッセル・クロウ)は、滅びる寸前の惑星クリプトンから生まれたばかりの息子を宇宙船に乗せて地球へと送り出す。その後クラーク(ヘンリー・カヴィル)は、偶然宇宙船を発見した父(ケヴィン・コスナー)と母(ダイアン・レイン)に大事に育てられる。そして成長した彼は、クリプトン星の生き残りのゾッド将軍と対峙(たいじ)することになり……。
映画の感想
本作がクリストファー・ノーラン製作×ザック・スナイダー監督と聞き嫌な予感はしていたが、ここまで暗く重く、高揚感もユーモアも無い「スーパーマン」とは思わなかった。ノーラン監督の「バットマン」シリーズの様に作家は「何でもかんでもダークに描けば観客は喜ぶ」と思ったら大間違いだ。まぁ、タイトルにもあえて「スーパーマン」を使っていない所を見ても判るが、作り手はあえて従来と違うものを作ろうと力を尽くし、観客の望まぬ違う形の作品が出来上がってしまった印象だ。78年製作のオーソドックスなリチャード・ドナー監督版「スーパーマン」
物語は映画版「スーパーマン」(78年)と、ゾッド将軍が暴れる「スーパーマンⅡ/冒険篇」(81年)
物語冒頭こそ時系列どおりに始まるが、地球に話が移ってからは時系列がバラバラとなり、スーパーマン初心者には判り辛い構成となっている。この構成は作家が「観客はスーパーマンの物語を知っている」という前提で、あえて時系列を崩したように感じる。労働者に紛れ込んで生活する無精ひげ姿のクラーク・ケントが、漁船上で無力な姿を見せた後で、油田掘削船の乗組員を救出する描写で、クラークの超人ぶりを観客に見せ付けるエピソードから地球で暮らすクラークの物語がスタートする。今回はクリプトンから脱出したカル・エルを乗せた宇宙船が地球に落下するシーンも無く、ケント夫妻に宇宙船が発見されるシーンも無い。
少年時代に学校で自分の能力に苦しめられるクラークの姿を描き、人間の子供たち共存する難しさを描く。そして、スクールバス転落事故でクラークは特殊能力を使いクラスメートたちを助けた事で大問題となり、クラークの育ての父ジョナサンの判断により、クラークは超能力を人前で使う事を封印される。人前で超能力を使えず耐え忍ぶクラークの前に最大の試練が待ち受ける。ハリケーンに巻き込まれて逃げ遅れたジョナサンを、大勢の人前で超能力で助けようと思ったクラークを、ジョナサンが自分の身を呈して止めさせる。ジョナサンは息子を秘密を守り通すために命を落とす。クラークが自分の身分を隠し通す決定打となった瞬間である。ジョナサン役のケヴィン・コスナーがアメリカの父親像を短い出演ながら素晴らしい名演で魅せる。
物語はデイリープラネット記者ロイス・レーンの登場により大きく動き出す。カナダで発見された宇宙船。ファントムゾーンに幽閉されていたゾッド将軍一派の復活。宇宙船の地球襲来。クラーク・ケントがスーパーマンとして覚醒する、などの過程を得て、ゾッド将軍の脅迫により、クラーク・ケントが自分の身分を隠し通すことが出来なくなり、軍隊に投降する形でクラークはスーパーマンの姿で人々の前に登場する。
まず、ゾッド将軍が地球の人々にテレビを使って送るメッセージに注目したい。「You Are Not Alone」だ。マイケル・ジャクソン
さて本作の裏主役となる憎々しいゾッド将軍役はマイケル・シャノンが演じている。ウィリアム・フリードキン監督「BUG/バグ」
壮絶なバトルは最終的にスーパーマンと同じ能力を持つゾッド将軍の一騎打ちとなる。戦いで破壊に破壊を尽くした二人。ゾッド将軍は駅構内に逃げ遅れた子供二人を含む四人家族に向けて、目からビーム光線を浴びせて殺そうとする。戦いの中で相手を殺したかもしれないスーパーマンであったが、ここで始めて自分の意思で戦う相手を殺す苦渋の選択が迫られる。このシーンはちょうどブルース・リー映画で最終的に戦う相手を殺すシーンと似た、悲しみと怒りにおびた感情でゾッド将軍に手をかける。同胞のゾッド将軍を殺したことで、カル・エルは完全に地球の人間になった瞬間とも捉えられる。
本作を見るとザック・スナイダー監督は「木を見て森を見ない」&「投げたら投げっぱなし」タイプの監督の様な気がする。監督の演出はディティールに拘るが、何か大きな物が抜け落ちている。例えば、後半の破壊シーンの数々を徹底的に描くが、その後フォローが無い。どう見ても滅茶苦茶に壊されたディリープラネット社の周辺がラストカットでは、何も無かったように復活している。ここはワンカットでも良いので町の復興シーンを入れれば整合性が出るが、監督はその辺がいい加減だ。観客が望むスーパーマンの姿は、町の人々と共に町の復興を手伝う姿だ。スモールヴィルもヘリコプターや戦闘機やミサイルが落下したのだから、観客は街のその後が気になる。しかし監督にそんな事を描く気は無い。まぁ、私は監督が「エンジェルウォーズ」の妄想世界と「スーパーマン」の世界を混同した感覚で作っているとしか思えない。基本的にスナイダー監督はヴィジュアル先行型の監督なので仕方はないが、好きな監督だけに私の落胆は大きい作品となった。
音楽について
今までのシリーズで通して使われてきた、ジョン・ウィリアムズ作曲の秀逸な「スーパーマンのテーマ」曲が本作では使われていない。音楽はノーラン監督の「バットマン」シリーズと同じハンス・ジマーだ。本作でジマーは、テーマ曲らしい際立ったメロディを使わず、オーケストラの和音とドラムオーケストラなる重厚なパーカッション演奏で押し通した。これはウィリアムズのスコアに太刀打ち出来ないジマーが、苦肉の策で逃げに走ったとしか思えない。この音楽にも私は大きく不満が募った。
この記事へのコメント